先日皆様のお手元にも配送されました、城北会誌 第61号 (平成25年度版)78ページに、『サッカー部OB会の再開について』の記事が掲載されました。

昭和45年卒の水谷嘉弘氏による寄稿となります。

以下掲載内容から引用させて頂きます。

 

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サッカー部OB会の再開について   水谷嘉弘 (昭和45年卒)

 

去る3月2日(土)、神田の如水会館において、戸山高校サッカー部OB会再開総会を開催しましたので以下報告します。参加OBは、昭和34年卒の森紘一、本橋輝明両先輩を筆頭に、平成24年の新卒者にいたる総計143名の大盛会でした。

ことの発端は、昭和47年卒の猪股淳二氏が同期の長谷川博士氏(野球部OB。子息が平成19年卒のサッカー部OB長谷川真生氏)から「野球部はOB会があるのに、何故サッカー部には無いのか?」と子息の疑問を伝えられた時点にあります。猪股氏が同期主将の田中孝幸氏に諮り、田中氏が前後のOBに声をかけ、第1回OB会立ち上げ準備会が昨年11月新宿で行われました。参加者は昭和44年卒の小島伸一氏、堀尾常夫氏はじめ平成17年卒の松宮一平氏までの約30名。以降3~4回ほど打ち合わせを重ね総会開催にこぎつけました。

準備過程で、OB会はかつて昭和55年9月に設立され活動するも昭和63年6月の名簿作成以降活動が確認されないこと、その後平成10年代に一部有志により動きはあったが現在は休止していること等が判明し、開催するOB会は「OB会再開総会」と位置づけました。

そろそろ現役から退き始める昭和40年代半ば卒業以降のメンバーを運営の中心に置き、会長に小島氏、幹事長に田中氏を選出。昭和46年卒木内秀行氏、昭和53年卒庄司修氏、昭和55年卒高橋厚人氏、松宮氏らが準備に奔走しました。各幹事が手分けして昭和29年卒から平成24年卒まで各年次の主将、部長に連絡をとり、OBの所在確認と総会出席者の取りまとめを依頼しました。

私も昭和37年卒林誠先輩、昭和38年卒篠原信賢先輩、昭和39年卒石田和之先輩、昭和41年卒宮下収先輩等々かつて那須合宿でしごかれた懐かしい方々と連絡を取り合い、再会を果たすことができました。

実は、総会出席者は100人確保するのが精一杯だと考え小さめの会場にしたのですがこれが大外れ、当日は狭くて会場内を移動するのも大変でした。式次第は、まず今後のOB会運営案を説明し満場の拍手で承認された後、懇親会の部へ。現役顧問の深宮美宇先生のご挨拶や当日最年長の森先輩のお話。森先輩は、富士通ご出身ですがJ1川崎フロンターレの前身、富士通サッカー部でプレーされた経歴を披露され、さすが名門戸山サッカー部の大先輩だと皆が誇らしく思う一幕もありました。会場内のテーブルを初めは卒業年次別、後半はポジション別に区分けして集ったのですが、われわれWMフォーメーション(いまや死語)時代のフォワードは「センターフォワード」「インナー」、424フォーメーション時代は「リンクマン」「スウィーパー」、現代サッカーの諸君は「FW」「MF」「DF」の名札をつけ、さすがに前後50年にわたるサッカーの戦術の変遷を実感しました。2時間半に及ぶ熱気あふれる会も昭和45年卒角谷和雄氏の中締めをもってお開き、その後も各年次別に2次会に繰り出したようです。

総会の案内をお届けできなかったOBの皆様方、申し訳ありませんでした。今後OB会活動を活性化すべく幹事団を組成しましたので、是非OB会へのご参加、幹事会へのご一報をこの場を借りてお願い申し上げます。

 

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